リセット日和 | 戸田てこの「て、ことだ!」

リセット日和

朝、起きてしばらくすると

今日はリセット日和であることに気づいた。


電話がかかってきて

今日の夕方から遊ぶ約束をしていた友達からで

ごめーん、昨日のみすぎてー、げろはいちゃってー、

しかもお店のテーブルでだよー、そんで今友達の家なんだけどー

これから家に帰ろうとおもうんだけどー

と。

ようするに、ドタキャンの電話だった。


そういうわけで

今日することがなにもなくなり、

私は気づいた。


リセット日和なのだと。


そうだ。

あの本を返しに行こう、と思った。

そして、

長らく月謝を寄付するだけで、サボり続けていた

シナリオ学校も退学しよう、と思った。

それから、

延々と気にかけていた

買い忘れの同僚二人の誕生日プレゼントも買いにいこう、と思った。



あの本を返すことは

私の中でちょっとした実験だった。

あの本を返す。しかも、本人に会って返すのではなく、

郵便ポストに入れておく。

それは、私なりの決別のサインだと、

あの人は理解するだろうか。

理解しないのかもしれない。

理解したら、電話をかけてきてくれるだろうか。

私はそんな電話をほしくて、あの本を返すんだろうか。

つまるところ、きっとそうなんだろう。

そういう自家発電的ドラマチックが好きなのだ。クダラナイオンナダネ。


ともかく、

シナリオ学校の退学金(つまりは、未納分の月謝)と

その振込先と

あの本を持って外へでた。


振込先をシナリオ学校に問い合わせたとき

「やめたいんですが」と言ったところ

電話口の女の人は

慣れた感じで「そうですか」と言って

べつだん驚きもせず

するすると口座番号を教えてくれた。


そんなもんだ。



とにかく外へ。

あの人の家はとにかく近い。

こんな近くに住んでおいて

『決別』なんてあるもんか。

だけど、自分でひとつあの家に行く理由を失くすことは

私の心のために必要なことなのだ。


あっという間に家につく。

家の前には昨日からまた、バイクが停めてあるようになった。

またバイク乗るのかな。

交通事故とかもうやだな。心配だな。


と思って、

もう、私が心配なんかしてあげなくてもいいんだ。

ということに思い当たる。

むしろ、今までの私の「心配」だってなんの役にも立ってなかったんだ。


それが悔しくて私は、この本を返しにきたんだろうか。

「もう私はあんたのこと心配しないけど、それでいいんだね?あとから気づいても遅いんだからね」


裏手に回って郵便受けを探す。

きったない錆びた郵便受けにあの人の名刺が貼ってある。


これ、意外にどきどきするな。


今日はあの人の仕事が休みの日だ。

そろそろ起きだしてくるころだろう。

今にも裏口からぬっと出てきそうだ。

そしたら私は、ひとの家の裏口をこっそりうかがってる

ただの変態・ストーカーになってしまう。


いや、本を返すだけなんだけどね。

長居は危険だと思い、

袋に入れたあの本を

郵便受けに押し込んだ。

がったんと音をたてて本が落ちる、

一瞬ひやっとする。


すぐ家を離れた。


袋には

A4の紙、一枚に

メッセージを書いておいた。

何を書こうかまよって

結局「ありがとう」と書いた。


もちろん、貸してくれてさんきゅーって意味だ。

だけど、

ありがとう

とだけ書くと

やけにドラマチックなのだ。

これは今日のちょっとした

発明だ。


これはこのままにしておこうと思った。

鈍感なあの人だもの。

やりすぎということはあるまい。


それから

銀行にいって

指定された口座に9000円を振り込んだ。

はい、これでおしまい。


あっけないものだ。

ちなみになんでシナリオ学校をリセットするかといえば、

3日前、映画祭のシナリオコンクールに落選したからだ。

ホントニオマエハクダラナイオンナダネ。


それから

家に帰ってオムライスを作った。

おいしかった気がした。


それから

荻窪にある先輩が会社を辞めて始めた「海月書林」という古本屋にいった。

そこには、先輩が集めてきた雑貨も売っている。

本を読んで、はちみつ酒を飲んで、まどから電車をみていた。

定規のようにまっすぐ横に

何本も電車が走っていくのを観ていた。

ブラインドが横一列だから、ちょうどきれいにみえるのだ。

そのすきまにちょうどぴったりに電車が何本も通っていくのだ。


それから

同僚ふたりに先輩の集めてきた雑貨から

誕生日プレゼントを選んだ。


帰りに

ルミネで毛糸の帽子を買った。


それから電車に乗ってバスに乗って

自分の街に着いた。


帰り道は

いつもあの人の家を通る。

仕方がないのだ。

他の道は暗くて怖い。

あの人の家の前は安全だ。

それはやっぱりあの人がいるからなんだけど。


もし、

会ってしまったら

ぷいっと横を向いて逃げ出そうと思っていた。

いくら鈍感で8年も彼女がいない、っていうか

引くくらい彼女がいないあの人も

この異変には気づくだろうと思ったから。



もし、会ってしまったら

と思いながら

会いたいと思っていた

思っていたけど、

会ったらあたしはその意味を考えてしまう

リセットしたそばから彼にばったり会うその意味を


もうすぐあの人の家が並ぶ道だ。

横断歩道をわたって、右に折れればすぐだ。


横断歩道をわたったところで、

なんとなくふりむいた。


「おっ」

と声がした。


あの人が、後ろを歩いてた。


すごい、びっくりした。

「どこいってきたの」とあの人がきく。

「本屋だよ」私は、顔を横にぷいっとやるのを忘れて

ふつうにどぎまぎしながら答えてる。、

あの人と並んで歩いている。

「ふーん」あの人はたばこをすう。


気づいているのだろうか。

郵便受けの本は見たんだろうか。

なんだか無口な気がする。


あの人はゴミ袋にたたんだ洋服をぎっちり詰めて手に持っていた。

もう一方の手には洗剤を持っていた。


「コインランドリー行ってきたの?」

「うん」

「…」

「…」


あっというまに家に着いた。

ぷいっと顔を横にむける、という計画はもはや頭の隅にもない。

ただ沈黙がいやで、

「バイク、また乗るの?」と聞いた。

「のらねえよ」

「じゃあ、なんで停めてんだよ」

「横に停めとくと放火されんだってよ」

「…こわいねえ」

「…」


もう、話すこともないし家にもついたから

ばいばいっていわなきゃいけない。


どうしよう

と思って振り返ると

意外なことにあの人も

どうしよう

って感じで私を見ていた。


それから、

煙草をまたひと吸いして、

「痴漢に気をつけろよ」と言った。

私は

「よけいなんだよ」

と言って苦い顔をした。

泣いたらいいのか笑ったらいいのか、わかんなかった。


それで、おしまい。


彼は家に入っていった。


早歩きで私も歩きながら

この意味はなんなの?と思った。

彼にこのタイミングで会う意味は?


私はあのとき、呼ばれてもないのに振り向いた。

彼が「おっ」と言ったのは

私がふりむいてからだった。

どうして私はあのとき振り向いたんだろう。

この意味はなんなの?


そういうことをもう考えても無駄ってことがようくわかったから

もう考えないために

リセットしたのだ。


ということを思い出し、

家に帰ってきた。


泣きたいような笑いたいような

なんだかいがいがする気持ちで

家に帰ってきた。